Originally posted at >>>/qresearch/20295231 (241623ZJAN24) Notable: 大本教の人類愛善会って何ですか?/合気道は大本教の影響でできたものだった
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
>エスペラント
エスペラント
https://ja.wikipedia.org/wiki/エスペラント
エスペラント (Esperanto) は、ルドヴィコ・ザメンホフとその協力者たちが考案・整備した人工言語。母語の異なる人々の間での意思伝達を目的とする、国際補助語としてはもっとも世界的に認知され、普及の成果を収めた言語となっている[2]。
概要
創案者のラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフは世界中のあらゆる人が簡単に学ぶことができ、世界中ですでに使われている母語に成り代わるというよりは、むしろすべての人の第2言語(橋渡し言語、リングワ・フランカ)としての国際補助語を目指してこの言語を作った。ザメンホフは、帝政ロシア領(当時)ポーランドのビャウィストク出身のユダヤ人眼科医で、ユリウス暦1887年7月14日(グレゴリオ暦同年7月26日)に Unua Libro(最初の本)でこの言語を発表した。
現在でも彼の理想を追求している使用者が多くいる一方、理想よりも実用的に他国の人と会話したり、他の国や異文化を学ぶためのものと割り切って使っている人もかなりいる。今日では異なる言語間でのコミュニケーションのためのほか、旅行、文通、国際交流(文化交流の場合が多い)、ラジオ(インターネットラジオも含む。無線の場合、短波が多い)、インターネットテレビなど、さまざまな分野で使われている。英語を国際共通語として当然視してしまう言語帝国主義的態度への対抗的姿勢が、とって代わるべき国際補助語として反言語差別の理念を掲げるこのエスペラントを持ち出すこともあった。
エスペラントを話す者は「エスペランティスト」と呼ばれ、世界中に100万人程度存在すると推定されている(使用状況を参照)。
名称
当初は特別な名称を持たなかった(単に「国際語(la lingvo internacia)」とされていた)が、ザメンホフが「エスペラント博士(D-ro Esperanto)」というペンネームを使って発表したため、しだいに「エスペラント(Esperanto)」の名で呼ばれるようになった。この「エスペラント」という単語は、エスペラントで「希望する人」の意味であり、この単語それ自体でこの言語を意味する。
日本語の呼称は日本エスペラント協会などが使用しているカタカナ表記の「エスペラント」が一般的だが、言語であることを強調するために「エスペラント語」と呼ばれることもある。
中国語では主に「世界語」と呼ばれるが、前述の「希望する人」から意訳した「希望語」という呼称も存在する。
公的地位
エスペラントを公用語としている国は存在しない。20世紀初頭には、ベルギーとドイツの国境付近に存在した中立地帯モレネの公用語をエスペラントにする案が提案されたこともある。1968年にアドリア海上に石油プラットフォームに似た人工島をつくって独立宣言した自称国家であるローズ島共和国はエスペラントを公用語として採用したが、翌年にはイタリア海軍により爆破され消滅した。
ハンガリーやブルガリアではエスペラントで国家試験を受けることができ、ブルガリアでは全国的に学校教育に導入されている[3]。バチカン放送[4]や中国国際放送[5]などの国営放送局がエスペラントでニュースを配信している。世界保健機関は新型コロナウイルス感染症(COVID-19、エスペラント語: KOVIM-19)の労働安全衛生教育コースのエスペラント版を提供している[6]。
非政府組織、特にエスペラント関係団体などでは作業語として使われている。もっとも大きいエスペラントの組織、世界エスペラント協会(UEA)は、NGOのひとつとして国際連合及びユネスコと協力関係にある。UEAにおいて日本を代表する国別団体として、1919年に設立され、1926年に財団法人化された日本エスペラント協会(JEI)が活動しており、2020年初時点の会員数は1,050人である[7]。
エスペラントはポーランド、クロアチアで無形文化遺産に登録されている。
最初の世界大会以降
1905年以降、世界エスペラント大会は2つの世界大戦の間を除き、毎年開催されている。
1920年代、国際連盟の作業言語にエスペラントを加えようという動きがあった。イギリスのロバート・セシルや日本の新渡戸稲造をはじめ10人の各国代表者が賛同したが、フランスの代表者ガブリエル・アノトーの激しい反対にあい、実現しなかった。フランス語は英語に国際語の地位を脅かされつつあり、エスペラントを新たな脅威とみなしていたためである。
年表
1859年 - エスペラントの創案者ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフがポーランドに生まれる。
1887年 - 最初の文法書が出版される。
1905年 - 第1回世界エスペラント大会がフランスのブローニュ=シュル=メールで行われ、『エスペラントの基礎』が出版される。
1906年 - 日本で日本エスペラント協会が発足し、二葉亭四迷がエスペラント学習書を発行するなどして、本格的な普及運動が始まる。
1908年 - 当時19歳のエスペランティスト、ヘクター・ホドラー(エスペラント語版)が中心となって世界エスペラント協会(UEA)が設立される。
1966年 - パスポルタ・セルボ(エスペランティストの国際ホームステイシステム)が始まる。