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GHQ の報道統制と日本:過去と現在
GHQ’s Press Code and Japan: Then and Now
The Postil Magazine 2024/09/01
米国は自らを「自由の国」と宣伝している。戦争をするときには、米国は自国民が享受している自由を他国にももたらすと自慢する。
しかし、これは現実に当てはまるだろうか?
20世紀半ばに米国が日本帝国と戦ったとき、ワシントンは自由のない国に自由をもたらしたのではなく、自由な国に不自由をもたらした。
これは、ワシントンが戦後日本に課した検閲体制を通じて部分的に達成された (山本武敏 2013)。この検閲体制の一側面は報道規制(プレスコード)であった。
知識人で作家の江藤淳は、GHQ占領下の日本を「閉ざされた言説空間」と宣言した (江藤 1994) 。
言説的に、ひいては認識論的に日本を閉ざした扉となったのは、1945年9月19日の指令「対日報道規程 SCAPIN-33 」であった。アメリカがブレスコードを課した主な目的の一つは、自国の戦争犯罪を隠蔽することだった(川崎賢子 2006、38-40)。
プレスコードは、印刷物やその他のメディアでの 30の話題についての議論を禁止した。
大東亜戦争の勝者に対する批判は禁止され、「大東亜戦争」という言葉も使用されず(「太平洋戦争」という言葉は歴史的には不正確であるが、今日でも代わりに使用されている)、占領下の日本の闇市場についても言及されず、アメリカ兵による日本人女性への強姦についても言及されず、広島と長崎への原爆投下についても批判されなかった。こうして、日本におけるワシントンの検閲体制が誕生した(平井和子 2023、モニカ・ブラウ 1991)。
米国政府にとって報道統制は緊急課題だった。ワシントンには隠さなければならない罪が多く、日本人のせいにしたい犯罪が多かったからだ。
その中で、日本には多くの勇敢な真実の語り手がおり、反撃した。その一人は、1945年3月9日と 10日の東京大空襲を記録した写真家の石川光洋だ。
GHQ は石川が撮影した写真のネガを押収しようとしたが、石川は拒否した。GHQ は最終的に折れ、石川に写真を公の場で展示することを禁じただけだった (石川 1974, 17-21、Richard Sams and Saotome Katsumoto 2015、Mark Clapson 2019, 219-221)。
しかし、石川の勇敢さは偽情報の猛攻撃の中で失われたようだ。戦争責任情報プログラム(WGIP)は、日本人とアメリカ人の両方に(両者とも真実を同様によく知っていたし、アメリカ人は日本人よりもその真実の反対を納得させる必要があったと思われる)、アジアでの戦争は完全に日本の責任だったと信じ込ませるために設計された心理作戦だった(Aoyagi Takehiko 2017、Takahashi Shiro 2019、関野道雄 2015)。
アメリカ人は GHQ の弾圧にも直接さらされた。例えば、占領政策とワシントンの行動に対する洞察力のある批評家ヘレン・ミアーズは、占領に関する著書『アメリカ人のための鏡:日本』が米国外で一時的に出版禁止になったことを知った(Kevin Y. Kim 2019、145)。
戦後日本における GHQ の情報統制にはさまざまな目的があった。それは二国間の取り組みでもあった。
日本のメディア産業の膨大な成果を監視し検閲するには、多くの日本人の協力者が必要だった。彼らは書籍、新聞記事、雑誌記事、その他の資料の草稿を読み、占領軍の検閲官によるより慎重な検討のために資料を英語に翻訳する必要があるかどうかを勧告した(夏目武子 1995, 73-75、2012, 46-47)。
時が経つにつれて、検閲体制は手紙やその他の郵便物にも及ぶように拡大した。かつての敵のために自国民をスパイすることをいとわない日本人の協力なしには、こうしたことはどれも不可能だっただろう(夏目武子 1997, 66-67、平山周吉 2021、山本武利 2014, 2021)。
GHQのプレスコードは、社会全体、特にメディアの権力構造をひっくり返した(西村幸祐 2017, 151-154)。
戦後日本を歪めた影響は今日も続いている(西村幸祐 2017, 116-119、久岡賢治 2020, 108-110、小山恒美他 2016)。
日本の国営放送局である NHK の戦後初の局長は高野岩三郎で、彼はアメリカに協力したことに対する褒賞として GHQ からその職を得た。戦後の日本のラジオもまた GHQ の検閲官の管理下にあった(谷川毅 2021, 82-85、大森純郎 2021)。
戦後の検閲について多くの著作がある著名な研究者で歴史家の有馬哲夫氏は、こうしたアメリカ占領軍による広範かつ継続的な干渉もあって、「 NHK の歴史番組に見られる歪曲は構造的なものだ」と論じている(有馬 2017, 134、西村幸祐 2017, 119-123、西村幸祐 2014)。
これは決して誇張ではない。
放送大手の日本テレビと全国紙の読売新聞の社長を兼務していた正力松太郎は、戦後、ワシントンに有利な世論を形成するために活動した CIA 工作員だった。検閲と情報の歪曲はメディアの枠内にとどまらなかった。
日本学術会議は、高尚な言説を平和主義的、左翼的、そして無力なものに維持し、それによって日本をワシントンの支配下に取り返しのつかないほど置き続けるものであり、1949年に GHQ によって設立された(Edo Naito 2021)。
CIA はアラバマ作戦などの旗印の下、世界中で活動し、到達可能なあらゆる場所で国民をプロパガンダし検閲したが、日本も例外ではなかった(Frances Stonor Saunders 1999、Alfred W. McCoy 2017、54、William F. Jasper 2017、Christopher Coyne and Abigail R. Hall 2023、615-617)。歪曲は、ほとんどの場合ワシントンに有利に働き、それは続いている。
日本の出版物は「保守的」で「愛国的」であると自称し、過去の報道規範を批判することもあるが、現在のワシントンのあらゆる政策と奇妙な類似性を示すことが多い(正論 2015)。
おそらく「保守的」で「愛国的」であるふりをしている評論家たちも、1945年に日本は不当な扱いを受けたという頑固な主張と、現在ワシントンが日本の救世主であるという主張という、同じ矛盾した特徴を示している(櫻井よしこ 2015 、櫻井よしこ 2022 )。
戦後すぐにワシントンが日本に課した検閲体制は、法的にはそうでなくても事実上、今日もなお存在しており、主に日本人によって存続している。(ただし、ワシントンの命令による範囲は、ほとんど知られておらず、知ることもできない)(Tim Weiner 2008 、133-140)。
ワシントンによる日本に対する検閲は非常に成功しており、アメリカの海外諜報活動全般に関する英語の歴史書にはほとんど登場しない(Calder Walton 2003、David Talbot 2015、James Bamford 1982、159)。
当時も今も、日本におけるワシントンの情報体制の目的は、日本がワシントンに依存し続けるようにすることだ。戦後、緒方竹虎が日本版 CIA の設立を試みたとき、アメリカの諜報機関はそのことを知っていた。そのため、かなり茶番劇的な形で、緒方が失敗する運命にあった理由(そして、外国勢力の監視下にある国では全く不必要であるにもかかわらず、それ以来日本の CIA が設立されていない理由)が示された(有馬2014、205-209、江崎道雄2021)。
ファイブアイズに参加したいという日本の願望も茶番劇だ。
(※) ファイブアイズは、米国、カナダ、英国、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関が世界に張り巡らせた設備や盗聴情報を相互利用・共同利用する為に結んだ協定。正式にはUKUSA協定。Wikipedia
少なくともファイブアイズのうちの 1つは、すでに日本政府の内部事情を知っているからだ(小谷健2022、254-257)。
日本は 1世紀以上にわたり、敵対的な外国勢力と戦ってきた(Ito Shichiji 2023、江崎道朗・山内智恵子 2022、196-214、有馬哲夫他 2021、James Bamford 1982、9-10)。
しかし、依然として脆弱だ。ほぼ意のままにスパイされる国である日本は、スパイ行為を禁止する単純な法律を可決することもできない。
もちろん、それは、日本に対して最も無差別にスパイ行為を行っているワシントンに大きな迷惑をかけることになるからだ(小谷健 2024、春名幹男2000b、380-406、春名幹男 2000a、169-214)。
また、この士気をくじくような状況は、意図したとおり、独立の考えが行動につながる前にそれを阻止してしまう(Nakanashi Satoshi 2020、131-140)。
アメリカ合衆国は情報統制を通じて帝国とな り、日本も 1945年に同じ手段でその帝国の一部となった(James Bamford 1982, 17、Jay Feldman 2011, 249-251、Edward S. Herman and Noam Chomsky 1988、Walter Lippmann 1922、しんぶん赤旗 2006)。
ワシントンの帝国日本にとって、今日残っているのは忠実な売国奴、日本国民の利益に反するワシントンへの協力だけだ(吉田敏弘 2016, 18-34)。