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ル・ボンの歴史的名著『群衆心理』、その「最高の読みどころ」「読んでると恐ろしくなる部分」を読んでみる

 

2023.03.16

 

SNSをはじめとしたインターネット上のコミュニケーションや、情報の発信や収集に力と時間をそそぎ、他者の動向につねに注意を払いがちな現代人。

 

「群衆」と化したオンライン上の言葉から影響を受けないではいられない時代が到来してひさしい。

 

そんな時代を予見し警鐘を鳴らしたのが、19世紀末に活躍したフランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンです。彼が書いた『群衆心理』は、現代を生きる私たちに、いくつかの有効な方法論を指し示してくれます。

 

ル・ボンいわく、群衆のなかにいると、もはや私たちは自分ではなくなるらしいのです。つまり、意志をうしなった1個の「自動人形」になってしまう、と言うのです。

 

なんとも恐ろしいこのル・ボンの指摘について、『群衆心理』を一部抜粋、編集しながら紹介していきます。

 

衝動的な群衆の性質

群衆は、ほとんどもっぱら無意識に支配されるのである。

その行為は、脳の作用よりも、はるかに脊髄の作用を受ける。

遂行された行為は、その出来ばえからいえば完全であることもあるが、脳によって導かれるのではないから、個人は、刺戟の働くのに任せて行動する。外界のあらゆる刺戟に翻弄[ほんろう]される群衆は、その不断の変化を反映する。

そこで、群衆は、いったん受けた衝動の奴隷となる。単独の個人も、群衆中の人間と同じ刺戟に身を任せることがある。

群衆の従う種々な衝動は、刺戟次第で寛大にも残酷にも、勇壮にも臆病[おくびょう]にもなることができよう。

 

動揺しやすく、昂奮しやすい群衆の特性

群衆に暗示を与え得る刺戟は、多種多様であり、しかも、群衆は常にそれに従うのであるから、その気分は、極度に動揺しやすいのである。

 

群衆は、一瞬のうちに残忍極まる凶暴さから、全く申し分のない英雄的行為や寛大さに走る。

群衆は、容易に死刑執行人となるが、またそれにも劣らず容易に殉難者ともなるのである。

 

群衆は、どんなに不偏不党と想像されるものであっても、多くの場合、何かを期待して注意の集中状態にあるために、暗示にはかかりやすいのである。

一度暗示が与えられると、それは、感染によって、ただちにあらゆる頭脳にきざみこまれて、即座に感情の転換を起こすのである。

 

群衆はたえず無意識の境地をさまよい、あらゆる暗示に従い、理性の力にたよることのできない人々に特有なはげしい感情に活気づけられ、批判精神を欠いているから、何のことはない、物事を極度に信じやすい性質を示すのである。

群衆にとっては、およそ真実らしくないと考えられるものなどは、存在しないのである。
世にも荒唐無稽[こうとうむけい]な伝説や説話が、どんなに容易に生み出されて普及されるかを理解するには、このことをよく記憶せねばならない。

 

誇張し、単純化する群衆のなかの個人

群衆の現わす感情は、微妙な差違[ニュアンス]を解し得ず、物事を大まかに見て、推移の過程を知らない。

群衆の感情が単純で、誇張的であることが、群衆に疑惑や不確実の念を抱かせないのである。それは、ただちに極端から極端へ走る。

疑いも口に出されると、それが、たちまち異論の余地ない明白な事実に化してしまうのである。

群衆の誇張癖が感情にのみ作用して、少しも知能には作用しないことをつけ加えるには及ばない。単に個人が群衆に加わったということだけで、すでに指摘したように、その知的水準が著しく低下する。

 

群衆は、単純かつ極端な感情しか知らないから、暗示された意見や思想や信仰は、大雑把[おおざっぱ]に受けいれられるか、斥しりぞけられるかであり、そして、それらは、絶対的な真理と見なされるか、これまた絶対的な誤謬[ごびゅう]と見なされるかである。

群衆は、自ら真理あるいは誤謬と信ずることに何らの疑いをもさしはさまず、他面、おのれの力をはっきりと自覚しているから偏狭であるに劣らず横暴[おうぼう]でもある。

個人ならば、反駁[はんばく]や論難を受けいれることができる。しかし、群衆は、それらに堪えられないのである。

 

群衆の奴隷根性

群衆は、弱い権力には常に反抗しようとしているが、強い権力の前では卑屈に屈服する。

 

権力の作用が、あるいは強くあるいは弱く働く間歇[かんけつ]的なものであるときには、常にその極端な感情のままに従う群衆は、無政府状態から隷属状態へ、隷属状態から無政府状態へと交互に移行するのである。

反抗心、破壊心の激発は、常に極めて一時的なものである。

群衆は、あまりにも無意識に支配され、従って幾百年にも及んで受けつがれてきた影響をあまりにも受けているために、極度に保守的な態度を示さざるを得ないのである。

群衆は、そのまま放任されていても、やがて自己の混乱状態に飽きて、本能的に隷属状態のほうへ赴くのである。