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コスト重視で被災者切り捨て 震災から1年迎える能登半島 地震と豪雨に加え復旧放棄の人災 「なぜ国は人命と生業守らぬか」

 

2024年11月29日

 

能登半島地震からまもなく1年――。試練にさらされ続けた能登半島は、ふたたび厳しい冬を迎えようとしている。震災から復旧半ばの9月には、未曾有の豪雨災害にも襲われた。ようやく入った仮設住宅から体育館の段ボール生活に逆戻りした人々、生業(なりわい)再建の腰を折られながらも歯を食いしばって耐えてきた能登の人々が、今どんな状況にあり、どんな思いで冬を迎えようとしているのか。震災関連死が東日本大震災以降最多にのぼるなか、国や行政に何が求められているのか――。能登被災地の人々の切実な声や暮らしの実情は、まるで報道管制でも敷かれているかのようにメディアから伝えられることはない。本紙は能登震災1年を前に、黙殺状態に置かれている能登被災地の人々の声を伝えるべく、石川県輪島市に向かった。

震災1年、豪雨2カ月 石川県輪島市の現状

「震災直後の振り出しに戻ったというものではない。それ以上に酷い状況だ」――9月半ばの豪雨災害直後、現地の人に電話で聞いた話から予想はしていたものの、3カ月ぶりに入った輪島市内の姿には言葉を失った。

金沢方面から輪島市内に入る唯一の幹線道路を通って輪島市に近づくにつれ、道の凹凸は激しくなり、道路と並行して流れる河川はあちこちで決壊し、橋は崩落。護岸は見る影もなく崩れて、流れた土砂が流域の田畑や道を呑み込んでいる。

川向こうの山は山肌が剥き出しになり、地震で緩んだ地盤が豪雨によってそのまま川に押し流されたことがわかる。地震被災地は、荒涼とした土砂災害被災地の姿に塗り替えられていた。

 

輪島市内に入ると、地震で倒壊した家々が3カ月前と同じ姿で横たわっていた。確かに解体が進み、ところどころ更地が増えてはいるものの、地面に屋根がへばりつくように潰れた家、菱形に歪みながらもかろうじて自立している家屋、軒下の車ごと押し潰れた旅館、おそらく震災以降一度も手がついていないであろう崩壊家屋、廃業し解体を待つだけの店舗……まるで現場保存でもされているかのように光景が変わっていない。1年近くたつなかで、崩れた家は雑草が伸び、屋根にかけられていたブルーシートは劣化して破れ、北風になびいている。

街の中では、ビブスや作業服を着たボランティアたちが数人、スコップやバケツをもって泥かきに動いていたり、解体業者のトラックも見かけるものの、道を歩いている人の姿はほとんどない。雪が降る前に屋根の修理を急いでいるためか、あちこちの屋根からトラックの荷台に瓦を落とす音が響くだけで、8月には公費解体や道路補修のために忙しく動いていた重機やダンプの数も減ったようにみえる。

ニュースで流される「道路を塞いでいた五島屋ビルの解体がようやく始まった」とか「輪島で1年ぶりに漁業再開」などの明るい情報や早くも「記憶の風化」を心配するメディアのアナウンスとは裏腹に、現地の状況はまだまだ災害の渦中にあり、「復興」と呼ぶにはほど遠い。

9月の豪雨では、すり鉢状の輪島市内のなかでも海抜が低い河井町周辺に水が押し寄せ、地震ではかろうじて倒壊を免れた家や店舗も床上・床下浸水の被害にあい、震災後に整備された応急仮設住宅も被災。市内最大規模の宅田団地(142戸)では床上1㍍も浸水した。郊外では土砂に家が押し流されたり、山間のいくつかの集落はまるごと土石流に呑まれる壊滅的被害に見舞われた。