そして、このグループ化によりこのムーブメントから離れて行ってしまった者達は何処にいますか?
もちろん、これは保護にも焦点を当てていますが、何より個々によるアイデアや情報の共有を増やす事は建設的ではなかったのでしょうか?
誤りは改善の機会にも繋がっていた事でしょう。
有害と判断した者達を排除する事が建設的でしたか?
それとも、問題が改善された状態の方が建設的ですか?
改善された場合の方が建設的では?
それらに見切りをつけるのは何の判断でしたか?
グループから追放されても8kun/chへアクセスを促しておけばこのムーブメントの拡大と促進に効果的だったのでは?
もし有害な者を排除するだけのムーブメントであるならばわざわざムーブメントをせずとも不要な国へミサイルを飛ばし自国の人々だけを残せば良いだけの話しです。
保身の為に靴を舐める運動ですか?
それとも真の自由や平和を見つける事も含まれている運動ですか?